
「未来」へのヒントは「過去」にある
明治大正、戦前の英語教育の歴史を辿ると、想像以上にレベルが高く、学習者の需要に合わせたかなり実用的な内容であったこと、更に、音声重視、実践的コミュニケーション力の育成に対しても非常に高い意識をもった取り組みをしていた事実に驚く。当時の英語教育がそっくりそのまま現在のものとオーバーラップしているようにみえる。むしろ実践自体は現在の教育よりもバラエティに富むものであったと感じるのは私だけだろうか。同時に、時代の流れに翻弄されながらも熱意をもって向き合い、英語教育に研究者として、教師として、また公教育以外の場で携わってきた無名の大家たちの大きな業績を思うと、尊敬の念を覚えずにはいられない。
英語教科書を媒体としてインプットされるのは学問的な知識だけではなく、明らかに何らかのイデオロギーが含まれる。単に言語だけでなく挿絵やその構図でさえもが教材となり、それを伝える手段となるのだ。戦時中の教科書から、教材のもつ威力と、教育のもつ「恐ろしい」一面を知らされることになる。政治、社会の圧力に左右される教育の歴史がよくわかる。
教育に対する「政策」のあり方を考える今、過去の有益な実践、失敗から学び、それを現在に生かすことができないだろうか。叫ばれる「英語力低下」をはじめ、英語教育を取り巻く諸問題への解答、更には英語教育の未来へのヒントは、過去を振り返るなかにあるのではないだろうか。『日本人は英語をどう学んできたか』はその過去への扉を開いてくれる書である。
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